010News2026.01.11
消費される言葉、残る言葉
毎日数十億のツイートが投稿され、数百万の記事が公開される。言葉はかつてないほど大量に生産されている。しかし、そのうちいくつが明日も記憶されているだろうか。
デジタル時代の言葉は「消費される」ものになった。読まれ、反応され、そして忘れられる。スクロールするタイムラインの中で、一つのテキストが目に留まる時間は数秒。その数秒で印象を残さなければ、それは存在しなかったに等しい。
この環境は、言葉の性質を変えた。
まず、簡潔さが至上の価値となった。長い文章は敬遠され、短く、強く、すぐに理解できる表現が求められる。俳句のような凝縮ではなく、広告のようなインパクト。
次に、感情が論理に勝るようになった。怒り、驚き、共感——強い感情を引き起こす言葉がシェアされる。冷静な分析より、熱い主張。
そして、文脈が失われた。切り取られた一文が独り歩きし、本来の意図とは異なる解釈を生む。言葉は発信者の手を離れた瞬間、コントロールを失う。
しかし、この洪水の中でも「残る言葉」は存在する。
それは必ずしもバズった言葉ではない。静かに読まれ、心に留まり、ふとした瞬間に思い出される言葉。誰かの人生を変えた一文、長い間忘れていた感情を呼び覚ます表現。
残る言葉には共通点がある。それは、表面的な刺激ではなく、深い何かに触れているということだ。真実、美、人間の普遍的な経験——時代を超えて人々が求め続けてきたもの。
言葉の洪水の中で、私たちには二つの選択肢がある。流れに乗って消費と生産を繰り返すか、あるいは、残る言葉を探し、書こうと努力するか。
どちらが正しいということではない。ただ、この選択は、自分が言葉とどのような関係を築きたいかを示している。